2月1日メルパルクホールで開催されたヤスダバレンタインコンサートより

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<ウエルドンさんと・・・> 1003 1003

 

生徒さんからのお礼メール第2弾です。

~月1クラス渡辺麻衣子さんのmail5です~

こんにちは。
先日は素敵な舞台に立たせて頂き、ありがとうございました。
ここ数日、力が抜けたような、本当にケアリーさんの生歌で踊っていたのだろうか・・・と、
夢の中にいるようでした。
8ヶ月前、ナーレイ先生と一緒の舞台に立てることを初めて聞いた日、とても驚き、とても興奮し
夜も眠れませんでした。
いざメレアカプーバイの特別レッスンが始まり、練習を重ねるたび
「私だけ踊れていない・・・」「一緒に踊っていいのだろうか・・・」
と不安な気持ちが大きくなっていきました。
でも以前、ナーレイ先生とワヒネの村上さん、古瀬村さん、大島さん、関根さんと一緒に踊られた舞台を
見た時、とても感動し「いつかは私も一緒の舞台に立つことが出来たら最高だな。夢のまた夢だな。」と
思っていました。
そんな憧れの舞台を思い出し、夢を諦めるより、思いきりやってみたいという気持ちが、私を前に
進ませてくれました。

そんな中、特別にワヒネのレッスンに参加することを許可し、レッスンをしてくださったナーレイ先生、
また、暖かく迎えてくれたワヒネの皆さん、時には叱咤激励してくれる仲間がいて、ここまでこれたのだ
と思います。
本当に感謝しています。

そして舞台当日は、ナーレイ先生の真後ろでポイントし、舞台の光が照らされた瞬間、今までにない気持ち
を味わいました。
いつもは前にも後ろにもたくさんの仲間がいて、お客さんの顔もはっきりと見えたのに、舞台には
ナーレイ先生の姿と眩しい光だけに照らされて、なんだか”輝くナーレイ先生の舞台を真後ろで一人で見て
いる“感覚に襲われました。
私はレッスンを受けている時から、ナーレイ先生の後ろ姿に魅せられていたのだと思います。いつも間にか
不安な気持ちより「ナーレイ先生の近くでもっとうまくなりたい」「ここでいつまでも踊っていたい」と
思う気持ちが強くなっていました。
曲が始まると、私はナーレイ先生やみんなと踊れることがとても幸せだと思う気持ちを溢れる笑顔に変えて
見ているお客様に伝えようと動いたことだけ覚えています。

私は、舞台もそうですが、何よりもレッスンもキラキラとした素敵な思い出なんです。
本当にこんな素晴らしい機会を与えてくださり、ありがとうございました。
また、ナーレイ先生のソロの舞台を見させて頂いきありがとうございました。
大島さんと古瀬村さんと一緒に見たあとに、発する言葉が見つからなかったんです。
言葉なんて薄っぺらく感じてしまうほど重く心にズシッと残るものがあって、実はしばらく楽屋に入ることが
出来ず、廊下に立ち尽くしていました。

まだまだ私は人に何かを伝えられるフラをすることは出来ませんが、これからももっともっと気持ちが伝わる
ように、レッスンを頑張りたいと思います。
これからもよろしくお願い致します。
本当に本当にありがとうございました。106

 

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<舞台の楽屋は生花のあま~い香りでいっぱいに・・・>

 

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衝突を恐れるな

私達が不本意ながらも相手にゆずってしまうのは、相手と衝突することを恐れているから。
しかし、衝突することを恐れていたのでは、他人と親しくなることが出来ない。
人間はお互いにかなり親しくなっても、お互いを完全には理解し合っているものではない。
理解しているつもりでも誤解していることもある。
そして、衝突することを恐れていると、その誤解が解けないまま関係が維持されることになる。

相手のやることで何か不愉快なことがあった時、もし本気で親しくなろうとすれば、それは
はっきり言う方がいいだろう。
相手は不愉快だと言われて初めて、”なぜ自分はそれをしたか”という説明が出来る。
その説明によって相手をより深く知ることが出来るし、もしかしたら、自分が相手を誤解していた
のかもしれない。不愉快に感じつつ黙っていれば、お互いの理解は深まらない。

人間はケンカしながら仲良くなっていくというところがある。
相手を傷つけるのが恐くて何もはっきりと言えない、という人は大抵自分のことしか考えていない。
正確に言えば、相手を傷つけることによって自分が嫌われるのが恐いということになる。
本気で相手のことを考えている時は、相手が傷つくということを承知でも言うことは言うもの。
相手を傷つけるということをあまりにも恐れている人は、実は心の底に憎しみを抑圧している。
人間は自然の感情を抑えて生きているからこそ、いつの間にか自分の本音は「相手の心を傷つける
のではないか」と思うようになってしまう。
そして自然の感情を抑えているうちに、人間憎悪を心の底にべったりとはびこらせるようになるので
本当に本音は他人を傷つけるようなものになってしまう。
相手の行為が不愉快な時に「不愉快だ」と言えるのは、相手との関係にかけてみようという
姿勢があるからである。
もしそう言ってダメになる関係ならダメになっても仕方ない。
そうした潔さがあって初めて、相手にはっきりと「不愉快だ」と言えるのではないだろうか。
本当のものでないのならいらない
そうした姿勢があって初めて、相手にはっきりと不愉快だと言える。
相手との関係にしがみつこうとなったら不愉快なことでも我慢してしまう。
神経症的な人は傷つきやすいから、一言一言に気を使う人と付き合うようになる。
はっきりと色々のことを言う人とは付き合えない。
いつも神経症的自尊心が傷ついていなければならないからである。
ということは、神経症的な人は基本的に他人と親密になる能力のある人を避け、親密になる能力のない人と
付き合っていたら、他人と親密になれないのは当たり前である。
心から相手を信頼出来ていればこそ、たとえ嫌なことでも相手に対してはっきりとものが言えるのである。
この点は忘れてはならない。

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point009_07最近、特に生徒さん同士のトラブルが続いています。
何故こんなことになるかと言うと
周りの方に対して優しさや心の広さ、常に謙虚な心が無くなっているから。
今一度、自分の胸に聞いてみて!!

I Ka ‘Olelo no Ke ola i Ka ‘Olelo no Ka make
言葉は人を生かすこともできるし、人を殺すこともできる。

言葉には、その人の魂が入っているんだね。
人に対しては優しく!
人を傷つける言葉はダメです。   ナーレイ222223